EXCELマクロの簡単なVBAプログラミング

今、職場の業務効率化を図るため、Excel macro で使うVBA(Visual Basic for Application)を勉強中です。特に1000人くらい参加する予定のイベントのうち 、こちらが把握したい人(ある集団のメンバー)が含まれているかどうかを確認する必要が生じたため、職員が2つの名簿を照合して手作業で確認していましたが、この確認作業は洩れがないよう極めて正確性が求められる作業なので、こんなときその担当者がExcel macro の知識を持っていれば、迅速かつ正確に行うことができるので、今回のことをきっかけとしてVBAプログラミングの勉強をして業務の効率化に協力しようと思い立ちました。

私も学生のころ、授業でフォートランを学んだので多少のプログラミングのやり方は覚えているつもりだし、その後、趣味でC言語やJAVA, BV.Netもかじりましたが、どれも中途半端で途中で挫折しました。
プログラミング言語というものは、趣味で勉強しても普段から使っていなければやがて忘れてしまうものなので、趣味程度の気持ちではなかなか上達しないものだとわかりました。何か明確な目的や目標がなければ身につかないものです。

そのような状況の中で、世の中はAI(人工知能)やRPAなどデジタル社会に突入する状況となりました。また、未曾有の少子高齢化社会に向って、人手不足の問題がますます深刻化していく時代となりました。このような状況下では必然的に業務効率化による労働生産性の向上が求められます。

私が勤務している職場も仕事は増えていく一方なのに事務所スペースが限られているため職員の増員には限界があることから、人間の判断を要しない定型的な業務はできる限り自動化をしていく方針としています。

ということで、現在、RPAソフトを検討しているところで、弊社は非営利団体なのでUiPathなら無料で購入できるため、現在、UiPathが有力となっています。しかし、無料の場合は、サポートがつかないため独学で覚えなければなりません。そこで、職員に覚えさせるのは時間もかかるので、専門派遣を使って構築してもらおうかなと考えています。

UiPathは個人でも無料でダウンロードできるので、先日、インストールして少し勉強したのですが、へたにある程度プログラミングをかじったことがある人間から見るとかえってわかりづらいという印象でした。
RPAはどこのベンダーもプログラミングの知識を知らなくても簡単に覚えられるとのフレコミですが、クリックによってアクティビティやプロパティを張り付けてプログラムのようなものを構成していくので、パソコン操作手順の自動記録の方法以外については、通常のプログラミングとあまり変わらない印象でした。

コードをキーで入力する手間や細かい文法で使う単語を入力しなくてもよいというメリットはあるかと思います。しかし、RPAも結局はプログラムの作成です。通常のパソコン作業を分析してどのように組めば自動化できるかというフローチャートを描けなければなりません。

また、その対象となる作業が、頻度が少なく、かつ、手間もかからないような作業であれば、RPAで自動化する意味があまりありません。特に小規模事業場においては、一つの定型的なパソコン作業で比較的大量に行う作業というものはあまりないかもしれません。規模の小さな事業場では自動化させることに適したパソコン業務を洗い出す作業が結構難しいと感じました。

UiPath陣営はおそらく小規模事業場(年商100万ドル以下かつパソコン250台以下の事業場)や個人はRPAを購入することはあまり期待できないとみて、無料にしたのかもしれません。

Excel macro でもExcel関連であればパソコン業務の自動化は可能なので、UiPathの導入と並行して、VBAの普及も視野に入れようかなと考えています。
それには、まず、VBAのしくみや使い方を知る必要があるので、まず基本的な知識や使い方を勉強しました。かつて、VB.Netを少し勉強したことがあるので、ほとんど抵抗なく勉強できました。

練習問題として、昼のイベントと夜のイバントの両方に出席する人を抽出をする方法についてExcel macroのVBAを使って以下のようにプログラムを作成したところ、以下の表のように両方出席した2名の名前を別の欄に記載し、かつ、昼の出席者の欄に黄色で表示しました(この画面では色は出ていませんが実際のExcel画面では色が出ています。)。

最初は、Application.WorksheetFunction.Matchなどのオブジェクやプロパティを使って普遍的に使えるプログラムを考えていましたが、うまくいかなかったので難しいプログラムを避けて単純な構成のフローチャートを考えたところ、以下のように比較的簡単に作成できました。
このような作業は実際の仕事でもあると思うので、VBAの初心者の方は参考にしてください。

Sub 両方出席者()
Application.ScreenUpdating = False
Dim i, j As Long
For i = 2 To 11
For j = 2 To 11
If Cells(i, 2) = Cells(j, 3) Then Cells(i, 2).Interior.Color = vbYellow
If Cells(i, 2) = Cells(j, 3) Then Cells(i, 4) = Cells(i, 2)
Next
Next
End Sub

実行前

昼に出席 夜に出席 両方出席

 

1 田中 野村
2 鈴木 市川
3 山川 山本
4 池田 吉田
5 木村 成田
6 佐藤 森本
7 山本 神林
8 河村 池田
9 大谷 松本
10 中野 長野

 

 

実行後

 

昼に出席 夜に出席 両方出席
1 田中 野村
2 鈴木 市川
3 山川 山本
4 池田 吉田 池田
5 木村 成田
6 佐藤 森本
7 山本 神林 山本
8 河村 池田
9 大谷 松本
10 中野 長野

 

 

 

 

 

人間の知識欲

知識欲は人間の本質的な本能です。たとえば、宇宙の構造や素粒子の構造が解明されたところで、興味のない人にとっては、それがわかったところで何なの?と思う人も多いでしょう。それらの研究に世界中で国の予算を使って研究して何の役に立つのだと不満に思う人もいるでしょう。
しかし、今までの科学の歴史を振り返ってみると当時は何の役にも立たない研究と思われていたものでも、そのしくみが発見された後は、いろいろな分野に応用されて技術的な進歩ひいては文明の進化が遂げられてきました。
当時は、世の中の何かに役立てようと思って研究することがなくても、その基礎的な研究結果を応用して科学技術が発展してきたと言っても過言ではないでしょう。
しかし、理学系の多くの研究は、基本的には最初から何かの役に立つことを目的として国の予算や大学の予算を使っているわけではなく、人間の本質的な知識欲を満たすことを目的としています。

そんなことに金を使うのをやめて直接国民に役にたつことに金を使うべきではないかと主張する人もいるかもしれません。

しかし、たとえば多くのノーベル物理学賞の内容を見てもその発見がその当時は直接何か世の中に役立つような内容はほとんどないと言っていいでしょう。
では、何故そんな直接世の中に役立ちそうもないような発見にノーベル賞が与えられるのでしょう?

それは、人間の不思議と思う本質的な知識に対する欲望を満たすことができるからです。

人間はただ生きていくためのみ価値を見出すべきものであるならば原始時代の動物に近い存在と同じになります(今の時代、生きていくことだけでもたいへんな時代にはなっているとは思いますが…)。

人間の知識欲というものは、ほかの本能的欲望(食欲、眠欲など)に比べて人によって様々です。この知識欲というものは本能に近いものなので、それが満たされるまでの間は留まることはないでしょう。
中には、ほとんどの人が関心がないことに関して、ある人だけが不思議に思って何故そうなっているのだろうと疑問に感じて研究し、新発見をすることがあります。
たとえば、ニュートンが発見した万有引力の法則は、リンゴが木から落ちるのを見て当時は誰も不思議に思う人はいませんでしたが、ひとりの天才が不思議に思ってくれたおかげで偉大な発見につながることになったわけです。

人間の知能、知識をもってしても長い間誰も気づかないあるいはなかなか解明できないことについて、誰かが発見あるいは解明したとしたら、それはやはり賞賛に値するものであり、人類として価値あるものになることでしょう。

これは、歴史的に見ると、昔は世の中の不思議な現象に対して科学的な知識がない時代はそれは神の仕業であり、神のみが知りうることであるとして神を崇めましたが、人間がそのしくみを発見していく中で神の仕業ではないことが分かってきたことから、その発見者に対して尊敬の念を抱くことになったのだと思います。

世の中の現象の全てを知りたいという欲望は人間である以上、永遠と続くことでしょう。

しかし、将来、世の中の全ての謎が解明されたとき、人間の未知の世界に対する知識欲はどうなるのでしょう。理学系(基礎的医学系等を含む)の学問が消滅し、工学系の学問のみが残っていろいろな発明をしていく世の中になるのでしょうか。
そのときは、それまで数式化できない分野の哲学系などについて数式化する試みがあるかもしれません。また、全ての謎を知り尽くしたと思ってもそれは気づいていないだけであってまだ知りえていない謎もあるのかもしれません。
また、従来、定説となっていた理論でも実はそれは間違っていたと主張する学者が出てくる可能性もあります。

いずれにしても人間の知識欲というものはいつの時代も留まることはないのかもしれません。

 

天災大国である日本を人災にしてはならない

今回、西日本に甚大な被害をもたらした豪雨を含め、最近、日本で発生する水害や地震災害は、今まで記録的には発生したことがない地方において発生している場合が多く、今までの経験や統計だけではほとんど予測がつかない状況となっている。

水害については、いつも河川の堤防の決壊、土砂崩壊を繰り返している。日本は、豪雨が発生しやすく、かつ、水害が発生しやすい地形であることを強く認識する必要があり、国や自治体は最優先でその災害防止対策を全国的に行う必要がある。

その対策には膨大な経費・予算が必要になると思われるが、頻繁に発生する甚大な被害、経済的損失を考えれば、最優先で早急に実行しなければならない。

単に堤防や山の斜面を頑丈にするとか堤防の高さを高くするというような従来型の対策では、時間も費用も膨大なものとなるため、科学技術の粋を凝らして何か画期的な対策を研究することに予算を投じるべきである。

また、大地震についても、かつてほとんど地震が発生したことがない淡路阪神地方においても大地震が発生するので、日本で絶対に大地震が発生しない地方があることを証明することは不可能に近い状況である。

そのような地震大国において、そもそも原発をあえて積極的に設置するという発想自体に対して外国人から見ると多分日本人はクレイジーな国民と思われるだろう。
リスクの塊のような国に原発を設置すること自体、ものすごいギャンブルである。これは例えていうと「うちの子に限って」、「ここだけは地震がこないだろう」、「天災がくれば仕方がない、あきらめよう」という日本人特有の楽観主義的、あきらめ型の発想が一種のギャンブルということだ。
いつか来るかもしれないがそれが来ないほうにかけるという発想である。
そして来れば運が悪かったという発想である。
だから目先の利益を享受しようという発想である。

目先のコストで原発を選択するという発想は、核のゴミ処理問題や大きな事故が発生した場合のコスト、廃炉するときのコストを考えると長期的には莫大なコストがかかることを覆い隠しているだけである。

今後、政府は原発をどんどん再稼働させていく方針なのだろうが、これは将来日本が滅びる原因となるだろう。

人類の科学技術の発展は目覚ましいものがあるが、核の発見だけは人間は悪いことに利用し過ぎた。
核利用はがん治療や物理の実験などで少量使う以外は、大量に扱うと一歩間違えると甚大な被害をもたらす凶器となるので、大量に使うことに利用すべきではない。
また、地震によって原発が制御不能になる危険以外に、将来サイバー攻撃によって原発が狙われることがないという保証はどこにもない。
いずれにしても今後予想もしていなかったことが原因で原発事故が再び発生することが絶対にないという保証はない以上、甚大なリスクを常に抱えたまま生活をする不安を持たされることを日本人は望むのだろうか。

かつて、「原発は安全ですよ」と何度も政府が繰り返したが、その結果が福島の原発事故である。しかも福島県沖にマグニチュード9近くの大地震が発生した場合、高さ15メートル程度の津波が福島の原発施設を襲うことを予め予測しておきながら、そのような大地震が来ないことにかけるほうのギャンブルを行って目先の利益を最優先し、国民を一度だましておきながら、福島の原発事故のあとでも再び各地で原発を推進させようとする発想はあきれるばかりである。

今後、政府が「これで絶対安全になりました。」と公言して原発をどんどん再稼働させた後に、再びどこで起こるか予測ができない大地震や津波などによって大きな事故が発生した場合、おきまりの「想定外だった。」というセリフで国民の非難をかわすことになるのだろう。

ここまで国民がばかにされていることに対して国民はもっと怒り、人間としてのプライドを持ち、日本に安心して住むことができる権利を主張しなければならない。

将来、日本を滅ぼさないために。

理学系と工学系のマインドの違い

文系の人から見て理工系の人というのは理学系も工学系も同じ志向を持っていると思っている人が多いでしょう。ところが理工系の人間から見ると理系と工学系は全く違う志向を持っています。例えていうと、同じ文系でも法律学と文学の違いくらいの違いがあると思います。
どこがどう違うのか。
根本的にマインドが違います。

一言でいうならば理学系は哲学者で工学系は発明家です。
理学系はものごとや自然現象のしくみなどモノや現象などの真理を追究する哲学を数式や実験、観察などで証明することが理学系です。

工学系は、基本的な法則や理論を使って何か新しいモノを発明するような志向を持つエンジニアタイプです。

したがって、理学系の基本的な志向は何か世の中に役に立つことを目的として研究しようとするものではなく、純粋に何故そのようになっているのか、その本質的なしくみや構造はどうなっているのかという人間の本質的な本能ともいえる知識欲がモチベーションとなっている場合が多いと思います。
私は典型的な理学系でモノづくりや発明にはほとんど興味がありません。

ほぼマインドは哲学系です。
構造に興味があるのは、宇宙、真空、光、ニュートリノ、素粒子、大脳、経済などです。

また、面白いことに同じ学問なのに国によって文系だったり、理系だったりするものがあります。たとえば、心理学は日本では文系に属しますが、欧米では一般的に理系の範疇に入ります。おそらく、統計を扱ったり、精神医学に近い考え方をするからなのかもしれません。

しかし、今の時代、数式は文系と言われている多くの学問で使われています。ほぼ数式を使わない学問は、法律学、文学、歴史学くらいでしょう。
特に経済学などは線形代数など数学を駆使して研究されていますし、金融工学や経営工学などは「工学」と名のつくくらいで、数式が駆使されています。
哲学を数式で証明するのが物理学であるならば、経済のしくみを数式で解く経済学が何故文系なのでしょう?
数式は様々な学問に使われていることから、今や文系と理系の区別をつけることはナンセンスになっていくでしょう。
特にプログラミングなどは、課題の構造を分析し、プログラミング言語を使って論理を組み立てて答えを求めるものなので、文系や理系の区別をする意味がないでしょう。

日本の大学教育においてもこれからは文系と理系のカテゴリーに無理に当てはめないことが求められます。

自分は文系だからとか、自分は理系だからという観念は、いろいろとこれから行動する上で足かせになることでしょう。

数学が不得意だから自分は文系向きだという考えは捨てるべきでしょう。法律や文学を学ぶことを除いては。

数学は今やほとんどの学問で必要な知識です。また、いわゆる文系と言われている学問でも数学的なセンスが必要なときは少なくありません。
これからの日本の教育は、英語、プログラミング言語に加えて数学に力を入れていくべきでしょう。

将来どんな仕事をしたらいいのか悩んでいる方へ

先日テレビで日本で飛び級第1号として高校2年から大学に入学した人のその後の人生について紹介していた番組があった。千葉大学で光の物性の研究をしていて大学院で知り合った女性と結婚し、すぐに子供を授かった。その人はそのまま大学に残って研究職として働いていたが、何年働いても月20万程度しか収入を得ることが出来ず、家族を養っていくことが厳しかったため、自分の研究をあきらめ、収入のよいトレーラーの運転手に転職した。
大学院を卒業しても年収が300万円程度しか得られないいわゆる高学歴プアの人が大学院卒の人のうち約半数いるらしい。

このような研究に限らず、どのようなことでも自分の好きなことをずっと続けながら生活を維持していくことはたいへんなことだ。

毎日好きなことをして裕福に暮らせている人はごく一部の限られた人である。

人間は一般的に学校を卒業すれば働かなくては生きていけない。

好きなことを仕事にすることができれば理想的だが、なかなか理想どおりにはいかない。また、趣味で好きなことをやっているときは楽しかったが、それが仕事となった途端に楽しくなくなるケースもある。

外国人、特に西洋人は仕事は生きがいというよりも生活の糧として自分が好きな時間、好きなことをやるために働くという意識がベースとなっている人が多い。

日本人は、生きがいのある仕事をしたいという人が多い。それは悪いことではないが、よく仕事が趣味という人で定年退職するまでほかに趣味を持たず、家族との楽しい時間も作らず、会社に滅私奉公し、場合によっては過労死するまで働き、やっと定年退職して会社の呪縛から解放されても何もすることがなく、急速に老化して認知症となるケースがある。

このような人生は決して理想的な人生とは言えないだろうが、本人が仕事が面白くて家族や自分の生活を犠牲にしてでも後悔しないということであればそれはそれで別に非難される筋合いではない。

逆に生きがいを持てないような仕事を一生続けなければならないほうが苦痛であろう。

働くということは需要と供給の結果である。仕事に貴賤はない。相手のために何かの行動を起こしたことによって、その報酬を相手からもらえることになれば相手には役に立ったことになるので、その行動が違法な行為でない限りどのような行動であってもそれによって誰かが役に立てばそれは仕事なのである。役に立つということはまさに需要と供給の関係であり、需要が多ければ多いほど供給できる人にとって、収入が増える(サラリーマンであればボーナスアップなど)。

企業活動はまさに需要と供給の関係で成り立っている。それがたとえ人の命を救うのに役立つ仕事でも人の快楽のために役立つ仕事でも需要という意味で価値は同じである。

自分の趣味、好きなことに対して、何らかの形で人に供給し、需要があれば仕事として成り立つ。
しかし、好きなことと才能は別である。いくら好きなことでも才能がなければ仕事にすることは難しいだろう。好きなことなので、努力をすれば能力が向上してニーズが高まるかもしれないが、ある程度のレベルの才能まで達しなければほかの仕事を選択したほうがいいだろう。要するにプロレベルの能力まで達しているかどうかだ。そうでなければニーズは上がらない。

仕事でも嫌いな仕事は決してモチベーションが上がることは期待できないので、適用性は乏しいだろう。好きな仕事でなくとも少しでも興味のある仕事であれば、モチベーションが上がる可能性があるので、スキルアップにつながり、適応していくことが期待される。
仕事への適応能力は個人差があって、人には向く仕事と向かない仕事がある。自分で努力してもなかなか適応できない仕事はやめたほうがいい。

いくら稼ぐことだけが目的で仕事に就いても適応できなければ決して続けることはできないだろう。

私は最終的には公務員の道を選んだ。私の場合、子供のころから好奇心が強い性格で将来は漫画家、イラストレーター、囲碁のプロ棋士、ジャズギタリスト、ジャズピアニスト、大脳生理学者、天文学者、物理学者などになることを漠然と考えていたが、皆趣味が高じてハマったものなので、仕事とは別に趣味でやっていくこととして、そのために当時は民間会社の内定を辞退して残業が少ないと言われていた公務員の道を選んだ。しかし、その後、国家公務員は仕事が増える一方だが人は減らされる一方なので年々残業が増える一方になった。
国家公務員試験に合格するとは思っていなかったので不合格であればそのまま内定していた会社に入っていたが、たまたま運よく合格したので迷わず公務員の道を選んだ。もう1つの理由は特定の民間会社に勤めて一部の人間の役に立つよりもできるだけ多くの人間に役立つ仕事をしたかったからだ。

公務員となってからも物理の研究は休みの日などでときどき続けていた。この数年間に数学を含めて新たな物理の法則を発見してきたが、これも突然閃いたわけではなく、今までの長年の研究の積み重ねの結果、生み出されたものだと思う。

しかし、新しい発見をしたとしても、もともとその研究を職業としていないために世の中に認められることは難しいだろう。趣味で研究している理論がそれを職業としている研究者が認めるということは、その道の権威ある研究者にとっては屈辱的なことあるいは職を失うことになるかもしれないからである。

天動説が当たり前のころは、地動説を唱えた研究者が火あぶりの刑に処せられ、ガリレオも、処刑は免れたが長い間牢獄にぶち込まれた。

昔は新しい理論を打ち出すことは命がけのことだったが、今では打ち出しても誰にも共感が得られなければ、単に世の中から無視されて永久に埋没されるだけで命までは取られない。

しかし、ほかの惑星で人間よりも高度な知能を持った生物がこの事実を仮に知ったとしたら、地球の知的生物は大した知能は持っていないと判断するだろう。

話が少し逸れてしまったが、職業の選択については、偶然性もあるが、好きなことや趣味を仕事にできることが最も理想的だと思うが、たとえそれが難しくても日頃から趣味で続けていくと人生は楽しめるし、それが高じてプロ並みの能力を発揮して仕事に結びつくことになる可能性もあるので、仕事と趣味を切り離して仕事は仕事、趣味は趣味として割り切って生きる人生も大いにアリだ。

宇宙の構造の解明

私はプロフィールにも記載したとおり、趣味で理論物理や数学を研究しています。7年ほど前に「複素ベクトルと三元数」というタイトルの本を自主出版し、それは今でも大きな書店には置いていただいています。従来、複素数の概念は2次元(実数と虚数)しかありませんでしたが、幾何学的3次元の虚数が存在することを発見し、複素ベクトル空間の任意の位置において、微分や速度、加速度の計算等数学や物理など広範囲に応用できるものであり、併せて多くの公式を発見しました。

たとえば、同じ数を掛けてー1になる数(虚数)は1つしかないことになっていますが、回転を行列で表わす(1を90度回転させると虚数(i)になる)と虚数は無数に存在することが分かり、その虚数の一般式を発見しました。これを私は「楕円虚数」と命名しています。

これらの様々な発見のおかげで、「3次元空間におけるグリーンの定理」についても私の発見がなければ2次元の世界までで数学の歴史は止まったままになっていたはずです。これはまだ正式に世の中に認められた定理ではないので断言はできませんが2次元の定理を受け継いだ非常に美しい数式になっていて私は絶対に正しいという自信があります。世の中はいつ気づいてくれるんでしょうね。

私は大学で物理学科に所属していたことからもわかるように、もともと宇宙の構造や素粒子の構造などに興味があったので、昔から理論物理の研究を趣味で行っていたところ、たまたま満員の通勤電車の中で物理に関する思考実験をしていたときに、第2の虚数が閃いたので、しばらくは数学の研究をしていたわけです。

しかし、趣味の本業は数学ではなく、物理学なので、物理学の分野においても多くの法則を発見しております。それらをまとめて1冊の電子書籍で出版するために執筆していましたが、仕事が忙しくてなかなか執筆モードになれないときが多かったので、全部まとめるには今後も相当な時間を要すると思い、いくつかの発見ごとに分けて出版していくことにしました。

まず、最初に宇宙の構造に関する発見について5月12日に、amazon  kindleストアから電子書籍として「宇宙空間の新しい構造」というタイトルで出版しました(定価250円。kindle Unlimitedなら無料)。
この本の内容はビッグバン宇宙論を否定する根拠を書いたもので、決定的な証拠としては、宇宙空間の構造として私が予測した数式にNASAで公開している多くの銀河のデータを代入するとそのグラフがきれいな直線状に並び、予測した数式に含まれる定数が導き出されたという事実です。
その定数は148億年と出ました。

この結果、銀河光線の赤方偏移の原因が宇宙空間の膨張によってすべての銀河が遠ざかっているからではなく、また、宇宙背景放射の存在理由が138億年前に宇宙が誕生して138億年間にわたる宇宙空間の膨張によって光の波長が伸びたとする必要性がなくなりました。
のであったと仮定した場合に夜空の明るさが無限大になるという矛盾(オルバースのパラドックス)及び全宇宙に存在する銀河から受ける重力が無限大になってしまうという矛盾(ゼーリガーのパラドックス)も私が予測した数式によっていずれも無限大が解消されることがわかりました。

以上のことを主たる証拠として、ビッグバン宇宙論の多くの矛盾点を指摘し、ビッグバン宇宙論は間違っていることを証明した本です。

宇宙には果てがあるのか、宇宙には始まりはあるのか、ビッグバン宇宙って本当に正しいのかなどの疑問や興味のある方は是非読んでみてください。
下の「宇宙空間の新しい構造」をクリックしていただければkindleストアにリンクして購入することができます。

宇宙空間の新しい構造

宇宙空間の新しい構造: ~反ビッグバン宇宙論~

 

複素ベクトルと三元数

複素ベクトルと三元数

世の中に3次元以外の幾何的次元は実在しない

皆さんがよくご存じの幾何的な「次元」の定義は、0次元が「点」、1次元が「線」、2次元が「面」、3次元が「立体」を表します。
ところが、正確に言うと3次元以外はこの世には実在しません。
まず、「点」ですが、点とは普通、芯の尖った鉛筆の先を紙に突いた印をイメージすると思いますが、その印は小さいながらも大きさがあります。点の定義は大きさがなく、位置だけが示されたものです。仮に点には最低限の大きさがあったとすれば、理屈上さらにそれを分割することが可能になるので、数学的に最小の長さというものはないのです。つまり、点は数学的な概念であって、実在するものではありません。

ちなみに量子力学的には電子は理論上大きさがない点として取り扱われており、また、量子力学的最小単位の長さはプランク定数と呼ばれ、その長さは1.616×10^-35ととてつもなく短い長さとなっています。
したがって、物理的にはこれ以上分割はできないのかもしれませんが、どんなに小さくとも大きさがある以上は、さらにその大きさの中心のような位置があることが予想されるため、数学的な「点」の定義から外れます。
電子の大きさは実験上はある大きさ以下であることはわかっていますが、まだ正確な大きさは発見されていません。電子は大きさがなく点と見なしているのは、あくまで理論上の仮説です。

次に「線」ですが、線は決して点が連続的に集まった集合体ではありません。何故かというと、数学的な定義から点には大きさがないため、長さがゼロの点を無限個繋げても長さはゼロのままであり、線にはならないからです。仮に線の定義を隣同士の点の距離を一定の長さにして繋げたものとしたとすると、それはもはや実線ではなく、点を並べた「点線」です。

したがって、もし、幾何的な線を定義するとすれば、点を動かしたときの軌跡であると定義することができます。

同様に、線には長さはあっても幅がゼロと定義されるので(幅がゼロでなければ、きしめんのような面になってしまう)、面は線の集合体ではなく(線を無限個重ねても1個の線の幅がゼロなので、面が出来ない)、線を動かしたときの軌跡であると定義できます。

同様に立体は面を動かしたときの軌跡であると定義できます。

また、単独の線や面はこの世に実在しませんが、境界線や断面や球の表面など1つ次元が高いところの末端(境界)に1つ下の次元が実在するではないかという声が聞こえてきそうですが、境界線と言っても面の端は、実際には原子が並んでおり、1つひとつの原子は概ね丸い形をしているため、その境界線の実態は、線ではなく、丸みを帯びたデコボコの面となっています。

また、立体のきれいな断面や表面は遠くから見ると面に見えますが、実際は原子が並んだデコボコの面です。

したがって、この世の中には、どうあがいても2次元以下の世界は存在しません。スケールを荒くすれば近似的には存在しますが、それは3次元の世界の中での近似的な次元を定義しているに過ぎないことです。

つまり、2次元以下の概念は数学的な抽象的概念です。

また、3次元空間の3つの次元(3つの座標軸)に時間の軸を4つ目の次元として加えた4次元時空体という概念がありますが、これももちろん実体のない数学的な抽象概念です。

そもそも空間と時間を同じ土俵に乗せることはできません。
3次元空間の3軸は空間の中の位置(空間座標)を表すものであり、時間はその位置が移動する速さの基準を表しているので、同じ座標軸に乗せるわけにはいきません。空間と時間は独立した次元であり、時間は空間と同じ仲間の次元ではないという意味で空間的な4次元は存在しないという意味です。

しかし、数学的には次元の個数は無限に存在します。
何故なら数学は抽象的な概念の学問なので、様々な事象がお互いに影響を及ぼすことがなく、皆独立した要素として構成されているものであれば、その個数分だけ次元が存在します。

したがって、空間と時間はそれぞれ独立した次元なので、空間と時間の概念を持ち合わせた事象は4次元の世界となります。

しかし、何度もいうようにこれは実体ではなくて、数学的に処理する上での概念です。つまり、3次元空間座標と時間の関数で構成された方程式は4次元で表されるということです。何も4次元の世界がそこに見えるというものではありません。また、次元自体は空間以外にもいくらでもありますが、数学上の幾何的な次元で定義すると上限は3次元までです。

超ひも理論では極小の世界では6次元の世界が見えない形でコンパクトに閉じ込められていて実際の4次元時空と併せて10次元の世界になっているということですが、これも数学的な処理によって6次元をコンパクト化させた抽象的な次元であって幾何学的な10次元の世界ではありません。

このように世の中には、4次元以上の世界を現実の世界と勘違いしている方が少なくないと思いますが、4次元以上の世界は全て数学的な抽象的概念であって幾何的な次元は世の中には3次元しか存在しないのです。前述のとおり0~2次元の世界も厳密には世の中には存在しない数学的概念です。

このままでは日本中の企業がブラック化する

人手不足がブラック企業を拡大させています。ロボットによる自動化は人手不足に追いついていません。特に業界的に自動化が難しく人手を頼りにしている企業はパートを募集してもよっぽど条件を良くしない限り、なかなか応募がありません。そのため、慢性的な人手不足が続き、連鎖的にそのしわよせが現場の社員に来て、パートの仕事を肩代わりすることによって、長時間残業となり、過重労働による健康障害が増加していきます。このままでは、過労死、過労自殺がますます増えるでしょう。

会社は、監督署の眼がうるさいので、36協定の範囲を超えて残業させないために、残業規制の指令を出す企業が少なくありません。
たとえば月30時間以上は残業しないよう自主規制を促したりします。
したがって、各社員またはリーダー格のパート社員は、月の残業時間が会社指示の時間を超えないよう残業時間帯の途中でタイムカードを打刻します。あとはお決まりのサービス残業(正式には「賃金不払残業」)となります。

この賃金不払い残業をさせている企業のほとんどは、会社側の責任者も確実に容認しています。その結果、タイムカード上は36協定の範囲内となっているため、労基法第32条違反(残業時間の協定超え)や同第37条違反(残業手当不払い)は認められませんが、賃金不払残業の時間を含めるとほとんどの場合が36協定の限度時間を大幅に超えて、過労死レベルの月80時間から100時間になっているケースが多く存在します。。

これが典型的なブラック企業の実態です。
私の知り合いにもこのようなブラック企業に勤務している人が多く(特にパートを多く使って人手を頼りにしているような企業)、希望に満ちて正社員として入社した会社が典型的なブラック企業(スーパー)だったため、入社1年後に体を壊す前に退職を決意した人がいました。

また、ある24時間稼働の食品工場では、パートを多くかかえている現場の若い社員が毎日午後8時から翌日の正午まで働かされ、途中の午前6時ころにタイムカードを打たされ、毎日5~6時間の賃金不払残業を強いられています。これは推定月140時間の残業となり、完全に労災の過労死認定基準を大幅に超えた残業時間になっています。逆にまだ過重労働で倒れていないほうが不思議なくらいです。

人は月45時間の残業時間を超えると超えた時間に比例して脳疾患、心臓疾患、精神疾患等が発症する確率が高まることが医学的に立証されています。そのため、厚生労働省では36協定は原則として月45時間を上限としており、この残業時間が80時間を超えると過重労働が原因で倒れた場合の労災認定基準に達し(ただし、発症前の2~6か月間の平均)、直前で月100時間を超えるとほぼ間違いなく労災認定基準となります。

さきほどの月140時間の残業時間については、この時間まで残業させ、長時間にわたる賃金不払残業を発生させて、過重労働で倒れたときは、仮に死ななかったり、あるいは後遺症が残るような障害にならなかったとしても所轄の労働基準監督署長は労働基準法違反容疑で司法事件として着手することを決定し、書類送検した日に悪質な企業としてプレス発表をすることになるでしょう。

今、紹介した企業は世の中では比較的知られた企業ですが、実態がブラック企業であることは世間の人にはほとんど知られていません。過重労働で倒れて事件となってマスコミに報道されない限り世間に知られることはないでしょう。事件として報道されたどこかの居酒屋や大手の広告会社のように。
しかし、一旦、ブラック企業として報道されると、そこには希望して入社する人は激減し、もはや優秀な人材を確保することはできないでしょう。つまり、労働者の労働力を搾取して企業が生き延びたとしても、誰かが過重労働で倒れれば、事件として公表され、世の中にブラック企業のお墨付きの烙印を押され、さらに人手が確保できなくなり倒産に追い込まれるでしょう。

この話は何もレアケースではなく、これからますます急速に進む少子高齢化によって、多くの業界が人手不足となり、残された従業員の過重労働はますます増加していくことは間違いありません。

その過重労働に耐えられず従業員が退職していけば、さらに残された従業員の負荷が増大し、過重労働による人手不足はまさに負のスパイララル現象を招くことになります。

この負のスパイラルを解消していくためには、RPA、AI、IT化等のデジタル化による業務の効率化、労働生産性の向上が急務であり、産業界や政府もこれに全力を投じて取り組まなくてはなりません。

RPAやAIが人間の職を奪うなどと悠長なことは言ってられない状況なのです。このままでは日本中の企業がブラック企業化するのは眼に見えている。

これは、もはや労働基準監督署の司法、是正勧告、指導、行政処分では解決できない問題です。

特に人手が足りない業界を優先して、RPAやAIによる業務の自動化を早急に実現させていかないと日本経済も立ち行かなくなるでしょう。

世の中をマクロで見ると、人手不足を解消しない限り、働き方改革は実現しません。RPAやAIによるロボット化は、将来企業で働く労働者の仕事を奪うかもしれないという心配よりも、現在労働者が働いている企業が倒産するかもしれないという心配のほうが優先される状況なのです。

4人麻雀感覚に限りなく近い3人麻雀の新ルールを公開

学生時代など友人と麻雀をやりたいと思ったときになかなか4人揃わないときがあったと思います。3人麻雀の一般的なルールは2~8の萬子(マンズ)と北を除いて行いますが、それだと役は限られるし、4人麻雀の感覚とはほど遠いルールなので、ちっとも面白くありません。そのようなときに3人でも4人麻雀に近い感覚でできる方法を発見し、楽しんでいました。

そのルールは極めて簡単です。ここで通常の3人麻雀と区別するために私が発明した3人麻雀を「新3人麻雀」と呼ぶことにします。まず、136枚の牌は4人麻雀と同じく全て使います(牌を抜くなんて邪道!)。
風については、北も入れて、サイコロなどで東が決まったら、南、西の順で座ります。したがって、最初の東場の時は、最初に東だった人は次から北、西となり、最初に南だった人は次から東、北となり、最初に西だった人は次から南、東となります。
4人麻雀では流局となったときに王牌(ワンパイ)として最後に場に14枚残しますが、4人麻雀の4人のうちの1人の手牌が13枚手元に残るので、新3人麻雀では余計な4人目の手牌分としてさらに14枚残し、合計28枚を王牌として場に残します。
よって、ツモの回数は4人麻雀では、東と南では70枚の牌を東西南北の順でツモるので、東南は18回、西北は17回ツモることになりますが、新3人麻雀では、69枚の牌を東南西の順にツモるので、3人が平等に23回ツモることになります。

このように4人麻雀ルールでは、東南になった人は西北になった人よりもツモの回数が1回多いので、明らかに不平等なルールであり、ゲームの平等性の観点からすると合理的なルールとなっていません。
したがって、合理的なルールに変えるには王牌を2枚減らすか、2枚増やせば4人のツモの回数は同じになります。何故、麻雀のルールを作った中国人が王牌を14枚残したのか未だに謎になっています。
普通ゲームは、あらかじめ使わない札を決めないでゲームの決着がつくまで全ての札を使うのが一般的です。麻雀も全ての牌を使うルールにする(ドラは始める前に何かの方法で決める。しかし、裏ドラなし)動きが一部にあるそうですがまだまだ世の中は従来のルールが一般的になっています。

新3人麻雀でも全てに牌を使うルールにしても良いと思いますが、現在の4人麻雀の感覚に近づけたいのであれば、28枚の王牌を残したほうがよいでしょう。ここで、新3人麻雀だと4人麻雀よりも5~6回多くツモるので、4人麻雀の感覚に反するじゃないかという声が聞こえてきそうですが、全員の場に捨てられる牌の数の合計は4人麻雀でも新3人麻雀でもほぼ同じであり、新3人麻雀は4人麻雀に比べてロン上がりが5~6回減り、その分ツモ上がりが増えるので、上がるまでの確率はほぼ同じのはずです。

次に上がりの点数ですが、通常の3人麻雀では4人麻雀と同じになるように調整していますが、新3人麻雀は4人麻雀のツモ上がりの点数を基準とします。
つまり、子どもで満貫で上がると子から2,000点、親から4,000点もられるので、合計6,000点(4人麻雀だと8,000点)。親で上がると子供から4,000点ずつもらい8,000点となります。同様に跳満だと子で9,000点(4人麻雀だと12,000点)、親で12,000点(4人麻雀だと18,000点)となります。したがって、満貫のロン上りは新3人麻雀だと子で6,000点、親で12,000点となります。また、平和(ピンフ)・ツモの上りでは、20符2飜で子の上りは子から400点、親から700点で1,100点となり、親の上りは700点オールで計1,400点となります。ロン上りも同じ点数です。
新3人麻雀はツモ上がりを基準としているので、4人麻雀制よりも1人分少ない割合の点数になります。新3人麻雀では上がりの点数が4人麻雀よりも多少デフレ化しますが、これが最も4人麻雀制に近い考えの点数になるのです。

以上で新3人麻雀のルールを説明しましたが、いかがでしたか。このルールを参考にして、これから麻雀をやるときにどうしても3人しか集まらなかったときの参考としてください。
また、この新ルールにこだわらず、皆さんで好きなようにアレンジして楽しんでください。

 

 

 

 

 

 

 

初心者向けジャズのアドリブ演奏の上達の近道

私は大学生のころモダンジャズ研究会でジャズピアノを弾いていました。
ジャズファンの方はいつごろからジャズを聴いているのでしょうか。ジャズを聴くようになるころって人さまざまだと思いますが、ジャズを普段聴かない人はジャズって難しいとか、聴いてもよくわからないとか言う人もいるかもしれません。私も中学生まではほとんどジャズを聴くことはありませんでした。たまにどこからか流れてくるポピュラージャズでテイク・ファイブなどは、聴いていて心地よくとてもイイ曲だなあと子供ながら思ってました。ジャズとの接触はその程度で、中学のころはポップス、フォーク、ビートルズなどポピュラーな和洋音楽を聴いていて、高校あたりからロックに傾聴しました。

私は好奇心が強い性格なので聞いているだけでは物足りなくなり、自分で演奏してみたいという衝動にかられて、エレキギターで外国の有名なロックギタリストのコピーをしたりして、ロックギターのアドリブテクニックを磨きました。
私が学生のころ一番尊敬していたロックギタリストはテン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リーでした。私は大概のロックギタリストのアドリブはほぼコピーできましたが、アルヴィン・リーだけは、他のギタリストにはない独特のアドリブラインを持っていてその速さやテクニックはなかなかまねできませんでした。

当時のハードロックはブルースをベースとしたハードブルース(ロックンロール)が主流でした。ブルースは12小節で基本的なコード進行もきっちりと決まっているため比較的ハードブルースをマスターするのはそれほど難しくはありません。

ほかの人はどのようにアドリブの訓練をしているのか知りませんが、私の場合、譜面は一切見ないで、耳でアドリブラインを覚えて楽器に再現するという方法でした。
オクターブ奏法で一世を風靡したウェス・モンゴメリーも楽譜が読めず、全て耳で覚えて一流のジャズギタリストになりました。

一通りロックギターのテクニックを自分なりにマスターしたところでロックのアドリブに少し物足りなさを感じるようになってから、次第にジャズの複雑で先が読めないアドリブに興味を持つようになり、ジャズに傾いていきました。

年齢とともに音楽の好みが変わっていくのは、やはり子供のころは大人よりも素直な性格なので、わかりやすくて、単純で、比較的簡単なコードで構成している曲を好む傾向があると思いますが、中学生や高校生あたりになると、少し自我に目覚めた自分をアピールするような音楽や世の中を批判的な眼で見るようになり反体制的な考えを主張したいという思いが加わってロックなどのハードな音楽に共感を覚えていくことが多くなるのではないかと思います。実際、私の場合そのような尖った感性でロックを好むようになりました。

しかし、年を重ねるにしたがって、次第に性格が丸くなり人はロックから最後は演歌に変わったり、私のようにジャズに変わっていく人が多いのではないでしょうか。もちろん高齢になるまでハードロックを貫き通す人もいるでしょうが…。

私は、高校3年のころ、本格的なジャズは聴いてもその良さがあまりわからなかったので、まず、ロックとジャズを融合したフュージョンやクロスオーバーから入っていきました。当時はジャズトランペッターのマイルス・デイビスがその先駆者であったため、よく聴き、日本ではジャズギタリストの渡辺香津美(教本も買いました)やナベサダなどを聴いていました。次第にジャズのアドリブに抵抗がなくなっていき、次のアドリブラインが予測できるようになっていきました。
私が最も尊敬するジャズギタリストはジョーパスです。彼は、ものすごいテクニシャンでアドリブラインも独特でなかなかマネのできない人でした。

私はジャズピアノにもたいへん興味があったので、ジャズギターの練習をしながら、ジャズピアノも練習していました。
ロックもジャズも共通してアドリブを上達させる近道は、まずブルースのアドリブをマスターすることです。
ロックもジャズも基本はブルースです。
ブルースが演奏できなければロックもジャズも演奏はできません。
おおざっぱに言うとブルースを8ビートにすればロックンロールやハードブルースになり、4ビートにすればジャズになります(たまにジャズで16ビートがありますが…。)。

ブルースにおけるロックとジャズの違いはリズムだけでなく、もう1つ重要な違いがあります。それはコードの種類です。もちろんベースとなるキーは同じですが、例えばロックなどはキーがCであれば単純にCコードを使うのではなく、7thコードなどを使いますが、ジャズだと9thコードや13thコードなどを普通に使います。
なぜならジャズという音楽は、常に緊張と緩和を交互に出していかないと陳腐な音楽に聞こえ、飽きてしまうからです。
だから、ジャズは不協和音をたくさん使います。安定した音階で癒されるような旋律に慣れてきた人には最初は違和感があると思うのでジャズの音楽がすんなりと入っていかないのではないかと思います。

子供のころは普通甘いものが好きで、ピーマンのような苦みがある野菜などは嫌いな子供が多いですが、大人になるにつれて、たとえばビールやピーマンのような苦みも旨味と感じて好きになることが多いと思います。
ジャズの不協和音は食べ物に例えると、この苦みに相当するのではないでしょうか。要するに大人になって初めてわかる味なのです。私にとって不協和音はもはやとても心地よく聞こえる和音です。まさにジャズの真骨頂ともいえるもので、これなくしてジャズは成り立ちません。

ブルースのジャスのアドリブをマスターできれば、ジャズ独特のアドリブ回しのこつがつかめるので、それからブルース以外のジャズにそのフレーズなどを取り込みながらジャズのアドリブを磨いていけば早く上達するはずです。

ブルースのいいところは、全員がお互いに初対面でジャズセッションをするときにブルースは基本的に誰でも演奏できるはずなのでキーさえ決めればすぐにブルースの演奏ができるというところです。

私は大学のころ、毎年1回自由が丘にあった「ニューファイブスポット」という日本で最も由緒あるジャズのライブハウス(来日した外国の一流ジャズミュージシャンの多くがそこで演奏していたところ)で7人のメンバーの中でピアノを担当していました。ギターでも良かったのですがそのグループには既にギター担当がいたのでピアノにしました。私の得意技は速弾きです。好きなジャンルはバップからフュージョンでした。作曲も10曲くらいしました。当時、モダンジャズ研究会のギター担当の先輩がNHK教育テレビのジャズ講座の講師をしていました。その先輩は大学卒業後プロになったみたいです。

大学を卒業して以来、セッションを組んだことはありませんが、たまにはしてみたいなあと思います。