「共感力」とは何か

人は何故共感するのか

  「共感」とは、誰もがその意味を何となく知っている人間の本能に近い不思議な感情です。また、それは人間の行動、歴史や社会においても極めて重要な要素になっています。人の話の中であなたが普段感じていることや思っていることに触れられると共感し、そう感じていること、そう思っていることは自分だけではないのだという安心感や幸福感が生まれます。

また、すばらしい景色、かわいい動物、日本代表が試合で勝ったときなどは、非常にうれしい感情や幸福感が沸き上がって誰かが同じように喜ぶ姿を見て共感し、自分と一心同体で喜んでいると感じることがさらに喜びや幸福感を増幅させる効果を生みます。

テレビドラマの視聴率を上げる方法

  テレビドラマ、映画、ストーリーマンガなどを見る人は主人公に自分を投影して見る場合が多いので主人公に共感を持つことができなければ、ストーリーに興味を持ち続けることは難しいでしょう。たとえ、一時的に主人公が共感を与えないような言動をするシーンがあったとしてもその後のストーリーで実はこういうことだったということで共感が得られれば、そのギャップがさらに共感を増大させることでしょう。
  たとえば、テレビドラマなどで、主人公の行動の中に何の伏線もなく、あなたが「これはないだろう。」と思うシーンがあったときは共感を得ることはないでしょうし、そのようなシーンがしばしば出てくるようなドラマはおそらく期待した視聴率を得ることはないでしょう。

また、たとえば、テレビドラマの「ドクターX」があれだけの高視聴率を保ったのは、普段、上司や幹部が権力を利用して理不尽な行動や決定をすることに腹立たしく思っている人は多いと思いますが、そのようなことは普通は権力に負けてどうにもならないという諦めの気持ちを持っているところへ派遣の女医が権力に打ち勝っていく姿に共感を覚え、自分を投影してもやもや感が吹き飛ぶことに爽快感を感じさせるストーリーだったからです。テレビドラマなどは、できるだけ多くの視聴者に共感を与えるようなストーリーでなければ、高い視聴率を上げることは難しいでしょう。

さらに共感にも程度があって、大きな共感と小さな共感があります。小さな共感は、普段からみんなが感じていることがわかっていることで改めてそこの部分を刺激しても「そうだね。」という小さな共感で終わってしまいますが、普段は意識していませんが自分の中に潜在的に存在する感情があって、その感情を多くの人が当たり前に持っているのかどうか必ずしもわからないようなものについて、主人公がその感情を表現するとき、この主人公は自分の感情と同じだという一体感が沸き上がると同時に自分は間違っていなかった、自分は承認されたという安心感が沸き上がり、これが大きな共感を呼びます。つまり、主人公と多数の視聴者との共感というより、主人公と自分だけの共感を覚えることに幸福感を覚えることができるのです。

「共感力」とは何か

人の心(正確には脳)を動かすためには、理屈よりも共感を与えることが重要です。仕事で部下の体を動かすためには、理屈よりも共感させて心を動かすことのほうがモチベーションが上がって労働生産性も上がることでしょう。

また、営業や販売でも理屈で納得してもらうことも重要ですが相手によっては共感を与えることがもっと重要なことも多々あります。要するに、普段こういうことで悩んでいないかとか、こういうことで不便を感じていることがないかとか、世の中にこんなものがあったら便利だと思っていないかなど相手の経験や体験を例にとって、まず相手の共感を呼び起こすのです。その共感が得られる相手であれば営業・販売は比較的成功しやすくなるはずです。逆に共感が得られない相手であれば早めに諦めたほうがよいでしょう。このように相手の人間に対して共感を持たせることができる能力を「共感力」と名付けてはいかがでしょうか。

また、政治家にとっても多くの国民から共感を得なければなりませんので「共感力」は非常に重要な能力です。これは良くない例ですが、かつて、国民の共感を最も利用した政治家は、巧みな言動で国民を扇動し戦争に導いたヒトラーではないでしょうか。ある意味天才的な「共感力」の持ち主だったと言えます。

人が仲間に入りたがるワケ

小さな社会で言うと、政党や社内の派閥、学校のクラス内の仲間などの場合も同じ共感を多く持つ人間同士の集まりが一つの小さな集団となっている場合が多く存在します。人間は何故そのような派閥や仲間を作りたがるのでしょうか。それは集団の中で自分が孤立しているよりも自分の周りに自分と共感できる人間がいて、その中にいることによって自分を認めてもらえ、安心できるからです。

「いじめ」の動機はこれ?

したがって、問題となっている「いじめ」については、集団の中で特定の人間をいじめる自分達の行動を認識することによって、仲間同士の共感を高め、いじめる側の仲間意識を高めることによって、自分たちの存在をお互いに認め合い、安心するということが犯行の主な動機になっているのではないでしょうか。

まとめ

そもそも人間は人とのコミニュケーションなしに一人では生きていくことはできません。たとえば、身寄りのない一人暮らしの年金生活者でも、生活していくためには買い物をしたり宅配便を受け取ったりする場合などに最低限人と会話をする必要があります。

  まだ働きながら生きていかなければならない人にとってコミニュケーション能力は非常に重要です。そのため、必要なときに「共感力」を発揮できる人は仕事をする上で有利となるでしょう。

健康寿命を延ばす秘訣は読書

老後の健康の秘訣は頭を常に働かせていること

10月13日に放映したNHKスペシャルは健康寿命の話でした。
健康寿命とは人間が健康に生活できるまでの年齢です。
日本の健康寿命は、男性約72歳、女性約74歳です。

日本の平均寿命が男性約81歳、女性約87歳ですから、男性は死ぬまで9年間不健康な状態で生き、女性は死ぬまで13年間不健康な状態で生きなければなりません。
人間の理想的な死に方は死ぬ直前まで健康に生きて、死ぬときはコロッと死ぬことだと思います。

死ぬ間際までいかに健康に生きていられるかということについて、AIが過去の膨大なアンケート結果を分析して出した答えが3つあって、そのうちの1つが、運動や食事ではなく、なんと、本や雑誌を読むことでした。

AIが出す答えの理由や思考プロセスは分からないブラックボックとなっているため、何故、健康寿命を延ばす秘訣が読書なの明らかとなっていませんが、読書は自分が健康だと思う行動などに多く紐づいていることがわかりました。
読書が健康の保持増進に役立つ理由としては、おそらく、読書は脳を活性化し、脳をぼけさせない効果があるのではないかと思います。
よく老後は頭を働かせる趣味などを持つと長生きするというアレです。また、読書をするといろいろな情報が入ってくるため、新たな興味や好奇心が生まれ、新たな行動を起こさせるきっかけとなり、脳も身体も活性化することが多くなるのではないでしょうか。
さらに統計的に図書館の周辺に住む老人は介護状態になることが少ないということも判明しました。

一人暮らし

もう一つの秘訣は、一人暮らしです。
家族と同居いていると何かと身の回りのことを家族がやってくれたり、また、やってくれると期待したり、自分でやってみようと思っても間違った場合に家族に怒られたり迷惑をかけると思ってやらなかったりすることから、自然と脳や身体の働きが衰え、老化の進み具合が速くなり、認知症の発生確率も高まります。また、家族に気を使ってストレスも高まります。

その点、一人暮らしですと、好むと好まざるとにかかわらず、買い物、炊事、洗濯、掃除など家事を自分で全てやらなくてはならないので、常に脳や身体を使い続けることになります。
また、同居する人に気兼ねをしないで自由に行動することができるので、ストレスも生じません。

しかし、その反面、一人ぐらいの寂しさや孤独感に襲われる可能性があります。その時は、老人が集まる公民館に行ったり、同じ趣味を持つ同士の集まりに参加してコミニュケーションすることによって孤独感を癒すことも可能です。

治安

最後の秘訣は良い治安です。統計的に犯罪の多い町は健康寿命が短いことがわかりました。たとえば近所に泥棒が入ってまだ犯人が捕まっていない場合、いつか自分の家にも泥棒が入るのではないかという不安を持っているとストレスが常に付きまとうことになり、精神的な健康状態を損なうおそれがあります。

まとめ

以上まとめると、老人は、治安が良い町で一人暮らしをして本や雑誌をよく読んでいると健康寿命が延びることになるとAIは答えています。
ただ、その理由はまだ論文が出されておらず、明らかとなっていません。あくまでも長年にわたって実施された様々なアンケート結果のビッグデータからAIが分析して出した答えです。

人間最後はやはりピンピンコロリと死ぬことが理想だと思いますのでAIの答えには賛否両論はあるかと思いますが、要するに、これから一人暮らしの高齢者がますます増えていくことが予想される中で、老人が一人で暮らしても安全な町で、日頃から健康意識を持って一人で生活できる能力を保ち、日頃から本などを読んで脳を刺激して考える習慣を身に付けることが精神的、身体的な老化を抑制し、健康寿命を延ばすことにつながることを示唆しているのではないかと思います。

人間の知識欲

知識欲は人間の本質的な本能です。たとえば、宇宙の構造や素粒子の構造が解明されたところで、興味のない人にとっては、それがわかったところで何なの?と思う人も多いでしょう。それらの研究に世界中で国の予算を使って研究して何の役に立つのだと不満に思う人もいるでしょう。
しかし、今までの科学の歴史を振り返ってみると当時は何の役にも立たない研究と思われていたものでも、そのしくみが発見された後は、いろいろな分野に応用されて技術的な進歩ひいては文明の進化が遂げられてきました。
当時は、世の中の何かに役立てようと思って研究することがなくても、その基礎的な研究結果を応用して科学技術が発展してきたと言っても過言ではないでしょう。
しかし、理学系の多くの研究は、基本的には最初から何かの役に立つことを目的として国の予算や大学の予算を使っているわけではなく、人間の本質的な知識欲を満たすことを目的としています。

そんなことに金を使うのをやめて直接国民に役にたつことに金を使うべきではないかと主張する人もいるかもしれません。

しかし、たとえば多くのノーベル物理学賞の内容を見てもその発見がその当時は直接何か世の中に役立つような内容はほとんどないと言っていいでしょう。
では、何故そんな直接世の中に役立ちそうもないような発見にノーベル賞が与えられるのでしょう?

それは、人間の不思議と思う本質的な知識に対する欲望を満たすことができるからです。

人間はただ生きていくためのみ価値を見出すべきものであるならば原始時代の動物に近い存在と同じになります(今の時代、生きていくことだけでもたいへんな時代にはなっているとは思いますが…)。

人間の知識欲というものは、ほかの本能的欲望(食欲、眠欲など)に比べて人によって様々です。この知識欲というものは本能に近いものなので、それが満たされるまでの間は留まることはないでしょう。
中には、ほとんどの人が関心がないことに関して、ある人だけが不思議に思って何故そうなっているのだろうと疑問に感じて研究し、新発見をすることがあります。
たとえば、ニュートンが発見した万有引力の法則は、リンゴが木から落ちるのを見て当時は誰も不思議に思う人はいませんでしたが、ひとりの天才が不思議に思ってくれたおかげで偉大な発見につながることになったわけです。

人間の知能、知識をもってしても長い間誰も気づかないあるいはなかなか解明できないことについて、誰かが発見あるいは解明したとしたら、それはやはり賞賛に値するものであり、人類として価値あるものになることでしょう。

これは、歴史的に見ると、昔は世の中の不思議な現象に対して科学的な知識がない時代はそれは神の仕業であり、神のみが知りうることであるとして神を崇めましたが、人間がそのしくみを発見していく中で神の仕業ではないことが分かってきたことから、その発見者に対して尊敬の念を抱くことになったのだと思います。

世の中の現象の全てを知りたいという欲望は人間である以上、永遠と続くことでしょう。

しかし、将来、世の中の全ての謎が解明されたとき、人間の未知の世界に対する知識欲はどうなるのでしょう。理学系(基礎的医学系等を含む)の学問が消滅し、工学系の学問のみが残っていろいろな発明をしていく世の中になるのでしょうか。
そのときは、それまで数式化できない分野の哲学系などについて数式化する試みがあるかもしれません。また、全ての謎を知り尽くしたと思ってもそれは気づいていないだけであってまだ知りえていない謎もあるのかもしれません。
また、従来、定説となっていた理論でも実はそれは間違っていたと主張する学者が出てくる可能性もあります。

いずれにしても人間の知識欲というものはいつの時代も留まることはないのかもしれません。