世の中の真理とは何だろう

一般的には「真理」とは、「時間的、空間的に不変な物の考え方」と定義づけることができます。
この定義にしたがって、真理を追究する学問にはどのようなものがあるか検証してみましょう。

まず、「法律学」はどうでしょう。
法律は同じ国でも時代とともに社会や国民の意識が変化していくので、法律も時代とともに変わっていき、また、国によっても法律はまちまちです。したがって、法律学に「真理」というものはありません。まさに時間的、空間的に変化していくものです。

次に、「数学」はどうでしょう。
代数学については、数字は人間が定義づけたものであり、数字や文字を使って、たとえばAが成り立てばBが成り立つとか、ある未知数を使って方程式を立てるなどある現象を数式で表すときなどに使うもので、自然現象や社会現象のふるまいを数式で表現するツールの役目をしています。したがって、数学自体は真理の追究というよりもいかに役に立つツールを見つけるかとか公理や定理を表すものだと思います。また数学の未解決問題については、解の探究であって真理の探究ではありません。

次に「経済学」はどうでしょう。かつては「マルクス経済学」も大学で盛んに研究されていましたが、今は資本主義を中心とした近代経済学が主流です。
経済学は、科学技術や文明の発展にしたがって変遷していくものであり、国の事情や文化によっても異なってくるので、絶対的な真理というものはなさそうです。
将来の理想的な経済社会を求めて研究はされているとは思いますが…。

「物理学」はどうでしょう。
少なくとも地球上における全ての物理現象については、地球上のどこで実験や観測をしても事実は1つだけだと思いますので真理という概念が存在するでしょう。しかし、これがたとえばブラックホールの近辺ではどうかとか宇宙の環境が異なる場所では違った法則が成り立つ可能性が高いかもしれません。
しかし、そのように宇宙環境が極端に違った場合でもそのような条件のもとに物理法則が成り立つので、いかなるとき(たとえば宇宙誕生という事実が仮にあるとすればそのときなど)、いかなる場所においても物理の法則は決定されることが期待されるので物理学には「真理」というものが存在しうる学問だと言えます。
かつてのローマ帝国は聖書が唱えている「天動説」(地球は宇宙の中心にあって静止しており、全ての天体が地球の周りを公転しているとする説)が当たり前の時代であり、「地動説」を唱えたジョルダーノ・ブルーノを火あぶりの刑に処したり、ガリレオ・ガリレイを終身刑に処したりしていました。
誤った法律によって「真理」が捻じ曲げられていたわけです。
しかし、その後コペルニクス、ケプラー、ニュートンらの出現によって天動説は完全に消滅しました。

しかし、現代の物理学においても必ずしもまだ「真理」であるとはとは言い切れない理論がいくつか残っています。
それは、「ビッグバン宇宙論」と「特殊相対性理論」です。
この2つの理論は既にグローバルスタンダード化していますが(特に日本では強く支持されています)、私はこの2つの理論は現代の「天動説」に近い理論だと思っています。
いつかこの2つの理論が誤りであったと気づく時代が来ることでしょう。

これからは地球寒冷化対策が急務だ

2015年に英国ノーザンブリア大学のバレンティーナ・ザーコバ教授率いる研究チームの発表によれば、2030年から太陽活動が現在の60%に低下し、地球はミニ氷河期に突入するとの発表がありました。
太陽は表面にある黒点の数が多いほどエネルギーが強く、少ないほど弱いことが知られています。この黒点の数の多さが11年周期で変化しています(何故11年なのかは未解明)。ところが、この周期に乱れが生じてしばらくの間黒点がほとんど消えることがあります。このとき地球上はミニ氷河期になります。
そして、昨年は1年のうち300日間黒点が現れなかったので既にミニ氷河期に入りかけているという説もあります。そして、このごろ世界中を襲っている大寒波もミニ氷河期の予兆ではないでしょうか。

もっとも最近のミニ氷河期は、 1645~1715年に発生した「マウンダー極小期」と呼ばれるものでこの間は太陽の黒点は極端に減少しました。イギリスのテムズ川が厚さ1.5メートルの氷で覆われました。
日本では江戸時代で飢饉が相次ぎ、徳川幕府が倒れたきっかけとも言われています。
また、ミニ氷河期の時代は食糧危機となって世界情勢が不安定となり、いたるところで争いが発生しています。

今度ほぼ確実にやってくるであろうミニ氷河期においても世界中で食糧難が深刻な状況となり、どこかで戦争が始まる危険性もあります。飢饉や病気で約20億人が死亡するであろうとも言われています。

もう既にミニ氷河期は始まっているかもしれないので、地球温暖化対策など悠長なことを言っている場合ではないでしょう。

過去の例をみても地球が温暖な時期よりも氷河期の時期のほうがはるかに悲惨な世界であったことは言うまでもありません。

特に日本は自給自足率が低いのでお金はあっても世界的な食糧不足で必要な食糧を輸入できないかもしれません。

政府は今のうちに食糧確保問題、省エネ問題(寒冷化するとエネルギー需要が高まる)等寒冷化対策を検討し始めるべきだと思います。
ミニ氷河期に突入するともはやこの先何十年も地球温暖化対策は不要になるでしょう。

「時間」とはある物質が一定周期をもつ運動に対して相対的な運動を表す概念である

「時間」の概念は昔からいろいろな哲学者や科学者によって考えられてきましたがどれもしっくり納得のいく答えが見つかっていないように思います。
かつて時間の単位は天体の動き(地球の公転、自転)を基準としていましたが、現在は国際単位系(SI)における時間の単位は秒(second) であり、1秒はセシウム原子の放射周期の約90億倍と定義されています。
普段私たちが使っている「時間」は、毎朝の起床時刻、会社の始業、終業時刻、休憩時間、残業時間、電車に乗っている時間、試験の時間、テレビ番組が始まる時刻、集合時刻など「時間」を使わなければ生活できないほどの重要なツールとなっています。

人間社会の視点で見れば、たとえば会社、学校など複数の人間が一斉に集合して何かをしなければならないときに、対象となる全ての人が認識できる共通の目安となるものが必要です。そのときに太陽がどの位置にあるときに集まろうと決めても人それぞれが感じる太陽の高さがあまりに誤差が大きいため人の集まり具合はバラバラになります。
このとき何か一定の周期を持って誰もが容易にその周期の位置がわかるものがあれば、その周期が正確であればあるほど集合するばらつきは少なくなくなります。現在は時計がその役割を果たしています。
このように身近なところから「時間」というものを考えていけば「時間」とは何なのか、わかってきます。

つまり、「時間」とは物質(人間でもよい)が運動(人間では行動)する際の変化の状況を表すための尺度と定義づけることができます。

もう少し具体的に言うと、たとえば人間が100mの直線距離を全力で走る運動に対して、その間、一定周期を持つもの(たとえば時計)が何回転したのかということでその人の走る平均速度が客観的に把握できます。
つまり、「時間」とは、ある運動に対して、一定周期をもつものがどのくらいの数を回転(又は振動)するかという運動を目安として、そのある運動の状態を把握するものです。

たとえば、宇宙空間がからっぽで何もない状態であると仮定(実際、宇宙空間の真空は物理的に何もない状態ではないがここでは何もない仮想の空間とする)したとき、そこは物質が1つもないので変化が全くない状態になっています。
そこには「時間」という概念は存在しません。
仮にその「無」の状態がどのくらい続いているのかという概念があればその時間の概念が生まれるのではないかと思う人もいるかもしれませんが、その考えには矛盾があります。何故かと言うと、「無の状態がどのくらい続いているか」という考え自体が変化、つまり無でなくなることを想定しているからです。ずっと無のままであれば無の状態の時間という概念もないのです。
少しでも何らかの変化がない限り「時間」という概念は発生のしようがありません。
では手元に何か一定周期のものがあってその周期回数を計ることにより無の状態の時間を計れるのではないかと言う人もいるかもしれませんが、これもそのようなものがあること自体既に「無」ではなくなっているので仮定条件に反しています。

【結論】
「時間」とはある物質が、一定周期の運動をする物質に対して相対的にどのように運動するかという概念です。