行政機関の助成金制度は性悪説を取り入れて作成すべき

助成金詐欺がなくならない

国や自治体にはさまざまな助成金制度のようなものがあります。
それらの制度の目的の多くは、ある制度を促進させるためとか、困っている国民などを救済するためのものです。しかし、その多くは手続きが面倒であったり、条件が複雑でさまざまな添付書類が必要だったりして、あまり利用されないまま予算が残る場合があります。

一方で、虚偽の申請をして不正に助成金を騙し取る詐欺事件も後を絶ちません。報道に載るのは氷山の一角です。よっぽど全国的な大掛かりの詐欺事件でもない限り、助成金詐欺事件の多くはプレス発表されることはありません。

何故なら、助成金詐欺事件は極めて悪質な犯罪であり、国や自治体は騙された被害者ですが、制度そのものが悪用されないようなしくみに何故なっていないのかという国民の疑念を抱かせるおそれがあるからです。

詐欺ができないしくみを考える

国や自治体は助成金制度を作るときは、国民は皆善人であるということを前提として作ってはなりません。極端に言うと自分が犯罪者になったつもりで、ある程度手続きの内容が固まってきた段階で、いかに不正な手続きをして助成金を騙し取ろうかと考えることが重要です。

私はかつて行政機関の幹部の方にこのことを助言したところ、助成金を悪用して騙し取る人をなくすことは難しいが、助成金の基本的な考え方はたとえ多少の不正受給者があったとしても多くの適正な受給者が救済されればよいと考えているとのことでした。

私はこれには納得がいかず、ちゃんとめんどうな手続きを貴重な時間を割いて一生懸命準備して申請してやっと助成金を手に入れた国民をあざ笑うかのように申請する権利が全くない(助成金支給の対象者にならない)悪人が助成金を騙し取ることによって助成金支給対象者が予算切れで支給されなくなることになるわけです(多くの助成金制度は助成金を支給し続けることによって年度予算に達した場合はその時点で制度を終了させる)。最初から多少騙し取られるのはやむをえないという発想は、最初から犯罪者を容認していることと同じです。

まとめ

助成金制度のしくみに少しでも穴があればそこから侵入して不正に受給しようとする者が確実に現れます。国や自治体の助成金制度は国民の税金から支払われます。
国や自治体は助成金制度を作るときは、犯罪者になったつもりでいかに不正に受給しようかと真剣に考え、不正受給が見破れないような箇所があれば修正しながら作る必要があります。それでもなお不正受給者を把握し、不正事実を認めた場合は、犯罪心理を抑制させるため、ペナルティーをもっと大きくすべきです。制度によっては、不正受給したことが発覚した場合、支給金額分だけを返還させる場合が多いですが、これを少なくとも倍返し、悪質な場合は3倍返しくらいにすれば抑制効果があるのではないでしょうか。

それでもなお不正受給者を把握し、不正事実を認めた場合は、犯罪心理を抑制させるため、ペナルティーをもっと大きくすべきです。制度によっては、不正受給したことが発覚した場合、支給金額分だけを返還させる場合が多いですが、これを少なくとも倍返し、悪質な場合は3倍返しくらいにすれば抑制効果があるのではないでしょうか。

社会的恒常性維持とは

恒常性維持とは

人の体は異常な状態を嫌います。異常な状態になったら生命を維持させるため、正常に戻すよう自動的に働きかけて正常な状態に戻ります。これを「恒常性維持」と呼んでいます。たとえば、運動して体が熱くなったら、体温を下げるため汗をかきます。それは熱くなったから汗をかこうと意識して汗を出すわけではなく、汗をかきたくなくても自動的に脳が察知して汗を出すよう指令を送るわけです。

また、がん細胞は正常な人間でも毎日相当な数(定説はないようですが1日に5,000個程度と言われる場合が多い。)が生まれていますが生命を維持させるために免疫細胞が直ちに攻撃して駆除します。がん細胞はもともとは正常だった細胞の遺伝子が2つから10個くらい傷ついたときに発生すると言われています。

実は、この恒常性維持の法則はあらゆる現象に通じています。

社会の中の恒常性

これは社会にもあてはまるところがあります。たとえば、もともと正常だった人間が学生時代に不良となり、大人になって反社会的勢力に入ってしまい、反社会的な行為を繰り返すようになった場合、安全な社会生活が維持できなくなるため、逮捕して身柄送検し服役させたり死刑にしたりして排除します。これはあたかも正常な細胞ががん細胞になってしまったため駆除することと似ています。

感覚としての恒常性

この「恒常性」は人間の感覚や感情にも影響を与えています。

人間は、無意識のうちに平均的なものに美しさを感じ、平常的なことに幸福感を感じます。かつて「最も理想的な美人顔、イケメン顔とは」と題するブログの中でも書いたように人間の顔は平均的な顔に安定感を感じ、美しいと感じます。つまり、平均的な眼の位置より大きく離れていたり、鼻が普通の人よりも非常に大きかったりして、顔のパーツの位置や大きさなどが普通(平均)よりもずれている場合に安定感が下がり、美しさが減少します。わかりやすく言うと、100人の不細工な顔を合成した写真は女性なら超美人、男性なら超イケメンになります。つまり、平均よりもずれた100人の顔のパーツは合成されることによって平均化され、整った顔になるため美しく見えるわけです。究極の美人(イケメン)は究極の平均なのです。

この法則に従うと最もかわいく感じる犬や猫などの動物も同じ種類の動物の多くの写真を合成したものが最もかわいく感じるものになるのではないでしょうか。

優れていることは個性

スポーツでも学問でも何かに優れているということは、本人の才能、努力、やる気などの結果であって、誰もがそうすべきだというものではありません。人間のある種の能力において平均的な能力よりも優れていることについては、その人の個性であって誰もが目指すべきものでもありません。一般的な知識や運動能力などを持っていれば、人間が普通に生きていくのには十分です。何か飛びぬけた能力を持っていれば将来生きていくのに有利なこともあるかもしれませんが、誰もが求められるものでもありません。そのような人は確率的にごくまれにしかいません。

平凡な生活は簡単には手に入らない

「平凡な生活」、「平常な社会」とは当たり前のように感じるかもしれませんが、この「平凡な生活」、「平常な社会」を手に入れることはたいへんなことです。日頃から努力を続けなければ平凡な生活を手に入れることはできませんし、平常な社会を作ることはできません。これは、人間の身体の恒常性の維持とは違って無意識に平常な状態を手に入れることはできないのです。

つまり、自分自身の外部のことである「生活」や「社会」について、恒常性を維持していくことは、その人の生き方にとって正常な仕組み、その国にとって正常なしくみをまず築かないと恒常性の維持もできません。その恒常性が理想像に向けて少しずつ進化していくことによって、人間は幸福感を増していくことになるでしょう。

特に日本の若い世代や中年層に幸福を感じられない人が比較的多いのは、年金制度の問題による将来の老後の不安、非正規労働者の貧困による生活や結婚への不安、正規労働者になれない不安、親の介護による就労不安などさまざまな不安があるためだろうと思います。将来においても人並みに「平凡な生活」を送ることが難しいのではないかと不安に思う人が多いのです。

まとめ

「恒常性維持」の概念は、人間が生命を維持するための身体のしくみに不可欠な機能であると同様に、人間が働いて生きていくための社会的な恒常性を維持するためにもなくてはならない概念です。

人間が安心して生きていけない社会は、社会として異常な状態です。これを正常な状態に戻す意識、つまり恒常性維持の意識を持って社会のしくみを修正していく必要があります。

天災大国である日本を人災にしてはならない

今回、西日本に甚大な被害をもたらした豪雨を含め、最近、日本で発生する水害や地震災害は、今まで記録的には発生したことがない地方において発生している場合が多く、今までの経験や統計だけではほとんど予測がつかない状況となっている。

水害については、いつも河川の堤防の決壊、土砂崩壊を繰り返している。日本は、豪雨が発生しやすく、かつ、水害が発生しやすい地形であることを強く認識する必要があり、国や自治体は最優先でその災害防止対策を全国的に行う必要がある。

その対策には膨大な経費・予算が必要になると思われるが、頻繁に発生する甚大な被害、経済的損失を考えれば、最優先で早急に実行しなければならない。

単に堤防や山の斜面を頑丈にするとか堤防の高さを高くするというような従来型の対策では、時間も費用も膨大なものとなるため、科学技術の粋を凝らして何か画期的な対策を研究することに予算を投じるべきである。

また、大地震についても、かつてほとんど地震が発生したことがない淡路阪神地方においても大地震が発生するので、日本で絶対に大地震が発生しない地方があることを証明することは不可能に近い状況である。

そのような地震大国において、そもそも原発をあえて積極的に設置するという発想自体に対して外国人から見ると多分日本人はクレイジーな国民と思われるだろう。
リスクの塊のような国に原発を設置すること自体、ものすごいギャンブルである。これは例えていうと「うちの子に限って」、「ここだけは地震がこないだろう」、「天災がくれば仕方がない、あきらめよう」という日本人特有の楽観主義的、あきらめ型の発想が一種のギャンブルということだ。
いつか来るかもしれないがそれが来ないほうにかけるという発想である。
そして来れば運が悪かったという発想である。
だから目先の利益を享受しようという発想である。

目先のコストで原発を選択するという発想は、核のゴミ処理問題や大きな事故が発生した場合のコスト、廃炉するときのコストを考えると長期的には莫大なコストがかかることを覆い隠しているだけである。

今後、政府は原発をどんどん再稼働させていく方針なのだろうが、これは将来日本が滅びる原因となるだろう。

人類の科学技術の発展は目覚ましいものがあるが、核の発見だけは人間は悪いことに利用し過ぎた。
核利用はがん治療や物理の実験などで少量使う以外は、大量に扱うと一歩間違えると甚大な被害をもたらす凶器となるので、大量に使うことに利用すべきではない。
また、地震によって原発が制御不能になる危険以外に、将来サイバー攻撃によって原発が狙われることがないという保証はどこにもない。
いずれにしても今後予想もしていなかったことが原因で原発事故が再び発生することが絶対にないという保証はない以上、甚大なリスクを常に抱えたまま生活をする不安を持たされることを日本人は望むのだろうか。

かつて、「原発は安全ですよ」と何度も政府が繰り返したが、その結果が福島の原発事故である。しかも福島県沖にマグニチュード9近くの大地震が発生した場合、高さ15メートル程度の津波が福島の原発施設を襲うことを予め予測しておきながら、そのような大地震が来ないことにかけるほうのギャンブルを行って目先の利益を最優先し、国民を一度だましておきながら、福島の原発事故のあとでも再び各地で原発を推進させようとする発想はあきれるばかりである。

今後、政府が「これで絶対安全になりました。」と公言して原発をどんどん再稼働させた後に、再びどこで起こるか予測ができない大地震や津波などによって大きな事故が発生した場合、おきまりの「想定外だった。」というセリフで国民の非難をかわすことになるのだろう。

ここまで国民がばかにされていることに対して国民はもっと怒り、人間としてのプライドを持ち、日本に安心して住むことができる権利を主張しなければならない。

将来、日本を滅ぼさないために。