「価値」とは何か
一般的に「価値」とは、必要性、嗜好性、希少性、利便性などの程度を表すことを言います。また、「価値」とは人間が作った「価値観」によって表される尺度であるため、世の中に「絶対的に価値が高いもの」という概念は存在しません。何を基準にするかによって人間にとって価値は変わります。
ダイヤモンドと金はどちらが価値が高いのか
たとえば、宝石の世界ではダイヤモンドが最も高価な宝石と言われていますが、高価な理由としては、地球上でもっとも硬い鉱物であること、砕石場所が少ないため希少価値性が高いこと、屈折率等から来る輝きの美しさなどによるものと思われます。
一方、金は天然のダイヤモンドよりも多く採れ、硬度、輝きなども劣ることから、宝石としての価値はダイヤモンドよりも低いとされています。
しかし、ダイヤモンドは炭素のみから構成されていて、炭素に高い熱と圧力をかけて人工的に作ることができます。その精度は時代とともに上がり、今や天然のダイヤモンドとほぼ同じものにまでなっており、硬度や純度から比較すると合成ダイヤモンドのほうが優れているものもあります。
したがって、現在、地球上で最も硬い物質は合成ダイヤモンドになっています。価格は天然ダイヤモンドよりもやや安くネット販売されています。この違いは天然のダイヤモンドの成分は純粋な炭素100%ではなく、不純物として炭素13が入っているからです。炭素13は、天然に存在する炭素の安定同位体で、地球上の全炭素の約1.1%を占め、6個の陽子と7個の中性子から構成されています。
ところが、金は地球上で人工的に作ることはできません。昔から錬金術が試みられてきましたが、地球規模で金を作ることは不可能なのです。
では、地球上にある金はどこから来たのでしょうか。それは、太陽の8倍を超える質量の恒星の一生の最後である超新星爆発によって、爆発の途中で莫大な温度と圧力によって金が生成されます。そこで作られた金が長い年月をかけて宇宙の塵とともに重力によって集められ、地球が誕生しました。
その爆発は地球を一瞬に吹き飛ばすほどの威力であり、そのような条件を地球上で再現することはできません。その意味で、金は決して人工的に作ることができないという意味ではダイヤモンドよりも宇宙規模では価値があると言えます。
「価値」は変動する相対的なもの
また価値はニーズによっても変動します。自分にとって価値が低くても他の人から見て価値が高い場合もあります。たとえば、人気があってなかなか入手が困難な商品はそれを欲しがる人にとっては価値が高いでしょうし、興味のない人にとっては何の価値もないことになります。
また、多くの人にとって利便性が高いものは価値が高いとされていますが、利便性が高くてもあまりに高額なものは価値が低くなります。つまりコストパフォーマンスに見合ったものでないと人気は出ないため一般的に価値は上がりません。そこは主に需要と供給の関係で価格が決定されます。
取り返しの利かない価値の選択はすべきでない
また、人間による森林の伐採、乱獲などによって絶滅の危機にある動物などについては、地球上の生態系を急激に悪化させることを防ぐ目的で絶滅危惧種として国際自然保護連合が保護することを試みていますが、密猟や環境汚染等がなくならず近い将来地球から姿を消すだろうと言われています。
その絶滅危惧種に指定されている動物は、例えば、チンパンジー、カバ、ラクダ、トラ、レッサーパンダ、チータ、アフリカゾウ、ジャイアントパンダなどなじみの深い動物が列挙されています。
生物は常に多くの種が絶滅し、替わって多くの新種が生まれる現象を繰り返しているため、ある種の生物が絶滅したとしても不思議なことではありません。しかし、自然現象によってゆっくりと種が変化していく分については生態系が壊れることはありませんが、乱獲や自然破壊など人間の欲によって人工的に異常なスピードで生態系を破壊していくことは、いずれ何らかのしっぺ返しを食らうことになるでしょう。
その中で確実なしっぺ返しは、密猟、乱獲などによって絶滅危惧種が絶滅した場合、その絶滅危惧種の毛皮、肉、牙などが密猟者たちの手に入らなくなることです。これは自業自得です。しかし、そのために絶滅危惧種の動物たちを飼育していた動物園は大きな損害を被るでしょう。
そんなしっぺ返しを心配する以前に、人間に危害を及ぼすウィルスや害虫ならともかく人間と同じ哺乳類としてこの地球に共存してきて慣れ親しんだ動物たちを人間の手で次々と地球から消滅させることは生物学的にも許されるのでしょうか。これから生まれてくる子供たちにどのように絶滅した理由を説明するのでしょうか。人間の目先の欲のためには動物が絶滅してもやむをえなかったと説明するのでしょうか。将来生まれてくる子供たちは、可愛らしいジャイアントパンダやトラやチンパンジーたちを大人の手によって絶滅させたことを必ず恨むでしょう。なんて大人は強欲なんだと。
この人間が地球全土を支配しようとする単細胞的、本能的な現象は例えて言うとがん細胞と同じではないでしょうか。つまり、がん細胞は正常な細胞とおとなしく共存していれば人間が寿命で死ぬまで生きていけるのに、人間の身体中に転移してどんどん増殖して短期間で人間を支配しようとして人間そのものを死なせてしまうため、がん細胞自らも自滅することになるわけです。
森林をなくし、プラスチックなど腐敗できない人工物を海に垂れ流し、他の動物を絶滅させ、生態系や自然を破壊し続けると、そのしっぺ返しによって、がんで人間が死ぬように人類はやがて滅びるかもしれません。
価値観の選択
人間の性格として、太く短く生きたいという人と細く長く生きたいという人がいますが、今人間が行っていることは太く短く生きようとしているとしか思えません。
自分たちの利益、目先の利益だけにとらわれて、将来のことや周りのことはどうなってもいいという人間のエゴがなくならない限り、未来の世の中は決して明るいものではないでしょう。
今のままでよいという選択肢を選ぶのも一つの価値観です。ありとキリギリスではありませんが、今が快適に過ごせれば将来どうなってもかまわないという価値観を優先する人間が多ければ、将来において選択肢を誤ったことを後悔することになってもそれはそれで一つの選択肢です。地球上の歴史に「人類」という生物がいたという歴史が刻まれるだけです。過去に恐竜の世界が長かったように。ただし、子孫からは恨まれるでしょうけど。
企業は事業拡大の欲望を抑える時期を見極めることが必要
企業も時代のニーズに合わせて新商品の開発など絶えず努力を重ねていかなければ事業を継続させることは難しいと思われますが、黒字経営が続くことによって事業が成功したと思われたときに、さらに成長させるために新店舗を次々と増設したり、M&Aを繰り返すことによる多角化経営などによって事業を際限なく拡大させようとする場合を多く見かけます。
しかし、中には事業を拡大しなければ細く長く事業を継続できたのに日本全国あるいは世界の市場を制覇する欲望を抑えられず事業を拡大しすぎて経営に失敗して企業そのものが消滅するケースも少なくありません。
そのような企業は、太く長く生き残ることを目指したのでしょうが、結果的に太く短く生きることを選択したことになります。
人間の欲望は際限がないのでしょうか。企業が成長していくら儲ければ満足するという限界というものはないのでしょうか。しかし、商売は需要と供給のバランスで成り立っていますので、無尽蔵に事業を拡大しても人口が無尽蔵に増え、土地が無尽蔵に増えない限り、需要の限界は必ずやってきます。
その限界を見極めて事業拡大をどこかでストップさせないと投資した資金を回収できず赤字経営に転落してやがて企業は破綻するでしょう。
まとめ
今まで述べてきたように「価値」という概念に絶対的、普遍的な基準はありません。個々の人間の意識、スケール、時代環境などによって、さまざまに変化する相対的な概念です。「価値」は人間によって作られた概念であって、客観的に存在する概念ではありません。
したがって、人間が地球上において安心して生きていくためには、人間がそのためのベクトルに沿った価値観を共有して維持していく必要があるでしょう。