将来どんな仕事をしたらいいのか悩んでいる方へ

先日テレビで日本で飛び級第1号として高校2年から大学に入学した人のその後の人生について紹介していた番組があった。千葉大学で光の物性の研究をしていて大学院で知り合った女性と結婚し、すぐに子供を授かった。その人はそのまま大学に残って研究職として働いていたが、何年働いても月20万程度しか収入を得ることが出来ず、家族を養っていくことが厳しかったため、自分の研究をあきらめ、収入のよいトレーラーの運転手に転職した。
大学院を卒業しても年収が300万円程度しか得られないいわゆる高学歴プアの人が大学院卒の人のうち約半数いるらしい。

このような研究に限らず、どのようなことでも自分の好きなことをずっと続けながら生活を維持していくことはたいへんなことだ。

毎日好きなことをして裕福に暮らせている人はごく一部の限られた人である。

人間は一般的に学校を卒業すれば働かなくては生きていけない。

好きなことを仕事にすることができれば理想的だが、なかなか理想どおりにはいかない。また、趣味で好きなことをやっているときは楽しかったが、それが仕事となった途端に楽しくなくなるケースもある。

外国人、特に西洋人は仕事は生きがいというよりも生活の糧として自分が好きな時間、好きなことをやるために働くという意識がベースとなっている人が多い。

日本人は、生きがいのある仕事をしたいという人が多い。それは悪いことではないが、よく仕事が趣味という人で定年退職するまでほかに趣味を持たず、家族との楽しい時間も作らず、会社に滅私奉公し、場合によっては過労死するまで働き、やっと定年退職して会社の呪縛から解放されても何もすることがなく、急速に老化して認知症となるケースがある。

このような人生は決して理想的な人生とは言えないだろうが、本人が仕事が面白くて家族や自分の生活を犠牲にしてでも後悔しないということであればそれはそれで別に非難される筋合いではない。

逆に生きがいを持てないような仕事を一生続けなければならないほうが苦痛であろう。

働くということは需要と供給の結果である。仕事に貴賤はない。相手のために何かの行動を起こしたことによって、その報酬を相手からもらえることになれば相手には役に立ったことになるので、その行動が違法な行為でない限りどのような行動であってもそれによって誰かが役に立てばそれは仕事なのである。役に立つということはまさに需要と供給の関係であり、需要が多ければ多いほど供給できる人にとって、収入が増える(サラリーマンであればボーナスアップなど)。

企業活動はまさに需要と供給の関係で成り立っている。それがたとえ人の命を救うのに役立つ仕事でも人の快楽のために役立つ仕事でも需要という意味で価値は同じである。

自分の趣味、好きなことに対して、何らかの形で人に供給し、需要があれば仕事として成り立つ。
しかし、好きなことと才能は別である。いくら好きなことでも才能がなければ仕事にすることは難しいだろう。好きなことなので、努力をすれば能力が向上してニーズが高まるかもしれないが、ある程度のレベルの才能まで達しなければほかの仕事を選択したほうがいいだろう。要するにプロレベルの能力まで達しているかどうかだ。そうでなければニーズは上がらない。

仕事でも嫌いな仕事は決してモチベーションが上がることは期待できないので、適用性は乏しいだろう。好きな仕事でなくとも少しでも興味のある仕事であれば、モチベーションが上がる可能性があるので、スキルアップにつながり、適応していくことが期待される。
仕事への適応能力は個人差があって、人には向く仕事と向かない仕事がある。自分で努力してもなかなか適応できない仕事はやめたほうがいい。

いくら稼ぐことだけが目的で仕事に就いても適応できなければ決して続けることはできないだろう。

私は最終的には公務員の道を選んだ。私の場合、子供のころから好奇心が強い性格で将来は漫画家、イラストレーター、囲碁のプロ棋士、ジャズギタリスト、ジャズピアニスト、大脳生理学者、天文学者、物理学者などになることを漠然と考えていたが、皆趣味が高じてハマったものなので、仕事とは別に趣味でやっていくこととして、そのために当時は民間会社の内定を辞退して残業が少ないと言われていた公務員の道を選んだ。しかし、その後、国家公務員は仕事が増える一方だが人は減らされる一方なので年々残業が増える一方になった。
国家公務員試験に合格するとは思っていなかったので不合格であればそのまま内定していた会社に入っていたが、たまたま運よく合格したので迷わず公務員の道を選んだ。もう1つの理由は特定の民間会社に勤めて一部の人間の役に立つよりもできるだけ多くの人間に役立つ仕事をしたかったからだ。

公務員となってからも物理の研究は休みの日などでときどき続けていた。この数年間に数学を含めて新たな物理の法則を発見してきたが、これも突然閃いたわけではなく、今までの長年の研究の積み重ねの結果、生み出されたものだと思う。

しかし、新しい発見をしたとしても、もともとその研究を職業としていないために世の中に認められることは難しいだろう。趣味で研究している理論がそれを職業としている研究者が認めるということは、その道の権威ある研究者にとっては屈辱的なことあるいは職を失うことになるかもしれないからである。

天動説が当たり前のころは、地動説を唱えた研究者が火あぶりの刑に処せられ、ガリレオも、処刑は免れたが長い間牢獄にぶち込まれた。

昔は新しい理論を打ち出すことは命がけのことだったが、今では打ち出しても誰にも共感が得られなければ、単に世の中から無視されて永久に埋没されるだけで命までは取られない。

しかし、ほかの惑星で人間よりも高度な知能を持った生物がこの事実を仮に知ったとしたら、地球の知的生物は大した知能は持っていないと判断するだろう。

話が少し逸れてしまったが、職業の選択については、偶然性もあるが、好きなことや趣味を仕事にできることが最も理想的だと思うが、たとえそれが難しくても日頃から趣味で続けていくと人生は楽しめるし、それが高じてプロ並みの能力を発揮して仕事に結びつくことになる可能性もあるので、仕事と趣味を切り離して仕事は仕事、趣味は趣味として割り切って生きる人生も大いにアリだ。