天災大国である日本を人災にしてはならない

今回、西日本に甚大な被害をもたらした豪雨を含め、最近、日本で発生する水害や地震災害は、今まで記録的には発生したことがない地方において発生している場合が多く、今までの経験や統計だけではほとんど予測がつかない状況となっている。

水害については、いつも河川の堤防の決壊、土砂崩壊を繰り返している。日本は、豪雨が発生しやすく、かつ、水害が発生しやすい地形であることを強く認識する必要があり、国や自治体は最優先でその災害防止対策を全国的に行う必要がある。

その対策には膨大な経費・予算が必要になると思われるが、頻繁に発生する甚大な被害、経済的損失を考えれば、最優先で早急に実行しなければならない。

単に堤防や山の斜面を頑丈にするとか堤防の高さを高くするというような従来型の対策では、時間も費用も膨大なものとなるため、科学技術の粋を凝らして何か画期的な対策を研究することに予算を投じるべきである。

また、大地震についても、かつてほとんど地震が発生したことがない淡路阪神地方においても大地震が発生するので、日本で絶対に大地震が発生しない地方があることを証明することは不可能に近い状況である。

そのような地震大国において、そもそも原発をあえて積極的に設置するという発想自体に対して外国人から見ると多分日本人はクレイジーな国民と思われるだろう。
リスクの塊のような国に原発を設置すること自体、ものすごいギャンブルである。これは例えていうと「うちの子に限って」、「ここだけは地震がこないだろう」、「天災がくれば仕方がない、あきらめよう」という日本人特有の楽観主義的、あきらめ型の発想が一種のギャンブルということだ。
いつか来るかもしれないがそれが来ないほうにかけるという発想である。
そして来れば運が悪かったという発想である。
だから目先の利益を享受しようという発想である。

目先のコストで原発を選択するという発想は、核のゴミ処理問題や大きな事故が発生した場合のコスト、廃炉するときのコストを考えると長期的には莫大なコストがかかることを覆い隠しているだけである。

今後、政府は原発をどんどん再稼働させていく方針なのだろうが、これは将来日本が滅びる原因となるだろう。

人類の科学技術の発展は目覚ましいものがあるが、核の発見だけは人間は悪いことに利用し過ぎた。
核利用はがん治療や物理の実験などで少量使う以外は、大量に扱うと一歩間違えると甚大な被害をもたらす凶器となるので、大量に使うことに利用すべきではない。
また、地震によって原発が制御不能になる危険以外に、将来サイバー攻撃によって原発が狙われることがないという保証はどこにもない。
いずれにしても今後予想もしていなかったことが原因で原発事故が再び発生することが絶対にないという保証はない以上、甚大なリスクを常に抱えたまま生活をする不安を持たされることを日本人は望むのだろうか。

かつて、「原発は安全ですよ」と何度も政府が繰り返したが、その結果が福島の原発事故である。しかも福島県沖にマグニチュード9近くの大地震が発生した場合、高さ15メートル程度の津波が福島の原発施設を襲うことを予め予測しておきながら、そのような大地震が来ないことにかけるほうのギャンブルを行って目先の利益を最優先し、国民を一度だましておきながら、福島の原発事故のあとでも再び各地で原発を推進させようとする発想はあきれるばかりである。

今後、政府が「これで絶対安全になりました。」と公言して原発をどんどん再稼働させた後に、再びどこで起こるか予測ができない大地震や津波などによって大きな事故が発生した場合、おきまりの「想定外だった。」というセリフで国民の非難をかわすことになるのだろう。

ここまで国民がばかにされていることに対して国民はもっと怒り、人間としてのプライドを持ち、日本に安心して住むことができる権利を主張しなければならない。

将来、日本を滅ぼさないために。